これは、あなた方が声に出して、何度も読みたい場合のためのこのメッセージの台本です。
私たちは、しばしば瞑想するために来る、特別な場所に座っています。
ここに座りながら、ガイアの姉妹の金星の紫の寺院を囲む五次元の空中庭園に思いをはせます。
金星は、私たちがしばしば“ただの子供の想像”として考える記憶ですが、『今や』、私たちは、それが五次元の現実の 記憶であることを知っています。
たとえ何があろうとも、この現実は私たちの意識の中で生き続けて来ました。
たとえ何があろうとも、いくらかの次元間の記憶は、私たちが五次元の経験を忘れてしまうことか ら、私たちを守って来ました。
これらの忘れられていない記憶、これらの子供時代の気まぐれなアイデアは、私たちが常にいつでも、思い出す必要があ る、私たちの『自己』の構成要素の中に生き続けて来ました。
これらの“記憶されている”記憶を私たちの素晴らしい想像力の中で、渦を巻かせると、平和、落ちつき、歓喜と期待の 感情が、私たちの意識を満たします。
期待は今や、私たちの無二の親友です。
実のところ、私たちは私たち自身に、思いも寄らないことを期待させているところで、この期待は見込みがあり、疑いよ うがありません。
記憶は、しばしば首飾りの真珠のように、一緒に一続きになっているので、紫の寺院の周りの空中庭園の記憶は、私たち の第三の目の中にムズムズを引き起こします。
なぜ、他ならぬ、この記憶が、私たちの承認に抵抗しているのでしょうか?
その質問に答える必要は『ありません』。
その代りに、私たちはそのムズムズに降参することを選択しています。なぜなら、その“ムズムズ”は、実のところ、記 憶だからです。
質問に降参することによって、高次の答えがどのように明らかになるかを、私たちは思い出しているところです。
質問に降参することは、光の言語によってメッセージを受け取る一番良い方法です。
ええ、私たちは『今』、どのように私たちが未知なるものに委ねることが出来るかを思い出し始めています。
幼い子供が高い椅子から飛び降りて、愛情深い父親の腕に飛び込むように、私たちはスピリットの愛情深い腕の中に、自 分たちをゆだねます。スピリットが私たちを捕まえるであろうことを知っているので。
第三の目をムズムズさせ、私たちのハイ・ハートを温かくする、その記憶に関与することを選択しているところです。
ええ、それは、そこにあります。
直接に、この現実/記憶を知覚することは出来ませんが、ハートからマインドの中へと流れ入る時に、それを感じることが出来ます。
そうです! それは絶対的な安全の記憶です!
汚れを知らない子供の想像力が、この記憶を開けるのに必要であるのは、不思議ではありません。
それは、私たちが大人になって失くした、完全なる無邪気さと絶対的信頼の記憶です。
目を閉じ、ゆっくりと呼吸し、私たちの大人の形態の中の、この記憶を捕らえなければなりません。
けれども、ひとたび私たちがこの、完全なる無邪気さと絶対的信頼の記憶を捕まえると、それは私たちの大人の地球の器 の範囲を超えて、高次の『自己』の高次の表現へと旅をします。
「私たちは、今、どこにいるの?」私たちは尋ねます。
「この『今』の中では、私たちはどこにでも居て、誰でもなんだよ」内なる声が答えます。
この声は、『今』、私たちの周りの様々な色と音色の、数え切れないほどの命の流れの奥深くに溶け込み、私たちの揺ら めく形態が探索することが出来るような、そのような完全な一体意識から発しています。
私たちは潜在的形態と無限の可能性の宇宙の海の中で流れている者たちです。
私たちはどんな形態を選択しようとしているところですか?
私たちはどんな可能性を実現しようとしているところですか?
「新生地球」内なる呼び出しを聞きます。
無邪気さの中で、私たちは、この選択は私たちがするためのものだと知っています。
信頼の中で、私たちの『自己』の中へと私たちを引き込んでいる色と音色によって、『今』の中へと流れ込みます。
「でも、私たちはどこへ行くの?」私たちの疑っているエゴが遠くから呼ぶのが聞こえます。
「あなたを無条件に愛しています」私たちがかつて私たちの自己として考えていたエゴに言います。
私たちは『今』を思い出そうとしているところです。
愛、ひとつである状態、協力、信頼と安全に基づいた現実を思い出しつつあります。
常にいつでも私たち自身の自己であるには、かつて高過ぎて、壮大過ぎて、力が強過ぎ、愛情があり過ぎてさえいた、私 たちの存在の構成要素から、私たちにメッセージが来るのを私たちは許しているところです。
私たちは、私たちの真の存在であることのこれらの構成要素で、私たちの認識を満たしているところなので、私たちの人 生が変化しているとわかります。
私たちはかつて“不可能”であった冒険をしていて、他の者たちが同じような経験をしているのを発見しています。
歓喜、落ち着き、信頼と安全を思い出しつつあるので、富、名声と認められるという個人的必要とのつながりを失なって います。
私たちの三次元の世界の残存物を進むと、おびえている人たちがいるのも見つけます。
けれども、私たちは恐れを理解することを思い出しているところなので、彼らに無条件の愛と思いやりを送ります。
もはや、私たちが“他の者たち”と“違う”かどうかを案じません。
もはや、“彼ら”が私たちが本当は『誰』であるかを見つけるかどうかをかまいません。
私たちのたくさんのオクターヴを見つけるのに、あまりにも忙し過ぎるのです。
ますます、私たちの現実の重大な変化への、私たちの個人的な貢献だけではなく、私たちの使命を思い出しているところ です。
もはや私たちの偉大な目的に役に立たないことを手放し、すでに繋がっている次元間の旧友を見つけることを思い出して いるところです。
私たちの『自己』を愛しているので、私たち自身の神聖なる補完物につながるために、愛に欠けている関係から離れつつ あります。
時には、私たちの神聖なる補完物は、私たちの物質的な経験を分かち合うこともありますが、それらは異なる場所、また は次元で役目を果たしていることもあります。
私たちは生まれ変わりの前にした決定に対して忍耐強いです。なぜなら、私たちの補完物と完全にひとつである状態は、 例え、私たちの物質的な身体が一度も会ったことがないとしても、私たちの分かち合った意識の中に見つけられることを思い出しつつあるから
です。
私たちはガイアを癒し、彼女が私たちに提供した美しい住まいに対して感謝するために、一緒に集まってもいます。
私たちの地球を敬い、支援すると言う決意は毎日、個人的、国家的、世界的なレベルで行われています。
私たちは人々と惑星として、『私たち』、地球とひとつとなったメンバーが、新生地球と『なる』ことを選択した現実を 創造するために、ひとつになっています。
私たちは帰郷します。そして、故郷は私たちが常にいる所です!